映画『マイ・ブロークン・マリコ』感想
原作漫画未読の状態で映画『マイブロークンマリコ』を観ました。
公式サイト
https://happinet-phantom.com/mariko/
映画.com(https://eiga.com/amp/movie/96450/)の解説抜粋
平庫ワカの同名コミックを、永野芽郁の主演、「ふがいない僕は空を見た」のタナダユキ監督のメガホンで映画化。鬱屈した日々を送っていた会社員・シイノトモヨは、親友のイカガワマリコが亡くなったことをテレビのニュースで知る。マリコは幼い頃から、実の父親にひどい虐待を受けていた。そんなマリコの魂を救うため、シイノはマリコの父親のもとから遺骨を奪うことを決意。マリコの父親と再婚相手が暮らす家を訪れ、遺骨を強奪し逃亡する。マリコの遺骨を抱き、マリコとの思い出を胸に旅に出るシイノだったが……。亡き親友マリコを奈緒、シイノが旅先で出会うマキオを窪田正孝、マリコの父を尾美としのり、その再婚相手を吉田羊が演じる。
まあ、あらすじだけで傑作確定なんだけども……。
映画を見たのは2ヶ月以上前なのですが、どうにかして感想を言語化したく、数ヶ月越しに怪文をインターネットに放出した次第です。
まずは映画を見ながら出力した脳直散文をご覧ください。どうぞ。
煙草吸ってる永野芽郁、よすぎる……
クソ上司は怒鳴りすぎだけど、これ怒鳴らずにちゃんと部下に言えてたらクソ上司ではない気がした。そこで怒鳴るからクソ上司なわけだが……。
シイノ、メンタル鬼強い。
吉田羊、よすぎる……
幼少期の回想シーンを挟む。
20分ぐらいのところでマリコの実家に遺骨奪いに行く。ここで仏壇を眺めてる父親の背中を見て、高校時代に父親に強姦されて母親に家を出て行かれたマリコの回想。
回想終了後、シイノが突然、遺骨を奪う。父親が激怒して暴れるも、再婚相手の女性(吉田羊)が止めに入る。吉田羊、いい女の役しかできないのか?最高だよあんた……。
🤬クソ親父😡
クソ親父はシイノを蹴ろうとするも、シイノが包丁を見せた途端に大人しくなるあたりで人間性が出ている。まあお前はそういうやつだよな。みんな知ってるよ。
「高校生の時、彼女を強姦したお前が!」
と父親の所業を泣きながら非難するシイノ。メンタルの図太さが冒頭で描写されていただけに、このシーンの演技は刺さる。描写されてる限り、シイノがマリコの死後に初めて泣くシーンのはず。ちなみに、叫ぶシイノに、父親はマリコの姿を重ねて見たらしい。
は?😡今更すぎる😡
重ねて見る権利もねえよ!てめえにはよ!🤬
シイノがベランダから飛び降りて逃走する際、再婚相手(吉田羊)を負傷させてでもシイノを捕まえようとする父親。
往生際が悪い😡👎
(なお、やっていることはシイノも十分エグい)
最後に「マリコ!」と叫ぶクソ親父。
どのツラ下げて言ってんだ!😡!
ハアッハアッ……
ここまでで冒頭20分の感想です
対戦よろしくお願いします。
続き。
「あんたが自分の子供に!変なことしちゃったからこんなことになってるんだからね!」
とクソ親父を泣きながら叱る吉田羊。まともじゃない役やってる吉田羊を見たことがない。絶対にどこかしら人間性を持ってる側の役やってるよね。最高だよ。クソ親父はされるがまま、割れたマリコの遺影を見下ろしてる。涙がマリコの遺影に落ちる。マジでこいつさあ……。
家に辿り着いたシイノ。「あんた手紙寄越すの好きだったよね」「あの人たちもう通報してる頃かね」
マリコの遺骨に対して、まるでマリコ本人かのように話しかける。よすぎる。なんだこれ。なんなんだ。ありがとう永野芽郁……。
ガーチで回想シーンの挿入タイミング、天才。
中学生の時点で煙草吸ってるシイノやばすぎて草。でも、シイノの家庭環境も決して良いとはいえないのにあれだけ逞しく生きられているのは、シイノの強さ故なんだろうな。シイノ、美しく生きろ。
と、思ったら、はじめてのバイト代で買って履き倒したドクターマーチンがカビ臭い事件発生は笑うしかないんよ。靴はクソ親父のところに置いてきちゃったからこれ履くしかないんや……。
ファムファタール、死後に海へ行く
そして、海へ行くことに。シイノの行動原理が、すべてマリコとの思い出に拠るものなのが、この旅がグリーフワークである所以だなあと。
マリコの分までご飯頼んで、結局二人前完食していくシイノかっこよすぎる。あと電話の相手が「クソ上司」の表示になってて全部もってかれた。最高だシイノ……。
高校時代と思しき回想。
「シィちゃんに彼氏ができたら私死ぬから」と言うマリコ。ファムファタールのダメなとこ出てるよ〜!
メモはここで途切れている。クソ中途半端なところで鑑賞中のメモを止めるな。
鑑賞後、冷静になってからの感想
これは百合ではない。共依存型のシスターフッドであって、百合ではない。
グリーフ・ワークという言葉が一番しっくりくる。まさしく生き残ってしまった人の、取り残されてしまった人の物語だった。唐突に訪れる死別にたいして、不格好ながらも折り合いをつけて生きていくであろうシイノに勇気づけられる話だった。
個人的にはあいみょんの「生きていたんだよな」とか、椎名林檎の「ありあまる富」とか、そこらへんを想起しました。
あと、マキオとシイノが、ただの知り合いで終わったのもよかった。少なくとも物語のなかでは。その後どうなるかはわからないけど。でもあの感じだと、多分あの後は会うことはないんじゃないかな。そういう部分で、異性愛主義へのちょっとした反抗心みたいなものも垣間見えて、でもそれは決して男女のつながりの否定ではなくて、ただひたすらに「クィア」的な解像度だったと思う。私はそこが一番心地よかった。
私はシスターフッドとクィア性に救われて生きているのかもしれない、と気付かされた映画。何度も見るのはメンタルにくるけど、また戻って来たい世界でした。劇場で観ればよかった、というのだけが心残り。
以上で終わります。
読んでくれた人、ありがとう。